科学の表現は,非個人的なもの,客観的なもの,一般的なものの領域に属しており,科学者はなにごとも一般化しようと努めるものである。科学者の言語は,私的で親密なやりとりのために作られてはいない。何かがたいへん個人的で,しばしば一度限りのものであると感じられるときには,柔軟でニュアンスに富んだ日常言語が使われる。したがって,私的な領域では,専門用語が嫌われるのは当然である。専門用語を使うことは,いつでも何かしらメタファー的なところがある。少なくとも,これまで長い間はそうであった。ところが,このメタファー的性格がいまや薄まりつつある。というのは,日常言語にもちこまれた単語から映像的な特徴がなくなってきたからである。メタファーとか比較とかには,そもそも絵画的なところがあって,ときにはイメージそのものを眼前に彷彿とさせることさえある。たとえば,「こそどろ(cat burglar. 直訳は「猫の強盗」)」の背後には「餌を探してうろつく」イメージがあることを見れば,このことがよくわかる。ところが,プラスチック・ワードには,みずからがどこから来たのかを示す跡がまったくないのである。
ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.49-50
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