「セクシュアリティ」というフロイトの概念には,もともとイメージを喚起するところがあった。フロイトは「精神(Psyche)」を,測定しうるか,あるいはいずれにせよ量として把握可能なエネルギーが内部で循環する装置のようなものと考えていた。精神のなかでエネルギーが,そのつど分散したり,抑圧されたり,転位したり,増大したり,減少したりするわけである。「精神」を一種のエネルギー分配装置と見なすことは,物理学から借りてきた考えであり,最初は新しい地平を切り開く思考モデルとしての価値があった。フロイトは彼の心理学において自然科学のイメージをことのほか好んでいた。なぜなら,フロイトは,自然科学は物事が実際に起こるありさまを最も忠実に表わすと考えていたからである。フロイトは「精神」を自然科学の観点から解釈したわけである。フロイトの著作に端を発し,19世紀の物理的エネルギーの概念に支えられたことばが,日常言語のなかで使われるようになって久しい。こうして,緊張が「蓄積」したり「発散」したりするようになったのだ。こうしたことばが慣れ親しんだイメージと結びついて,しだいに広く用いられるようになったために,それが当初もっていた絵画的内容は色あせてしまった。
こうしたことばの作用は,だからこそますます強まるのである。「セクシュアリティ」は二重の意味でメタファーである。というのは,それが科学から借りてきた概念であると同時に,物理的なイメージ言語がそこに結びついているからである。ところが,それがメタファーであることは,もはやほとんど気づかれなくなっている。
ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.50-51
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