ひとつの例として,「健康」のからくりをとりあげよう。健康な人は自分の健康について語らないものだ。何かをもっているわけではないし,何も欠けてはいない。この「ないもの」について語るべき理由などないのだ。というのは,そのことを気にしていないのだから。ひとが健康について語りはじめるのは,自分の身体に注意が注がれるようになったときだけである。そのときひとは,いまの病気について語ったり,昔の痛みを思い出したりする。「健康」という語は,昔のテクストにはあまり出てこない。もし出てくるとしても,何かの実体を指し示しているわけではない。ただ「無傷である」「生きている」を意味しているだけである。健康である者には,何も欠けていないのだから。しかし,わたしたちは健康がひとつの美徳となった時代を生きている。なぜなら,わたしたちは自分たちに健康が欠けていることを見に染みて感じているからだ。いまやこの欠如は日常意識に植え付けられてしまい,こうしてわたしたちは,来る日も来る日も自分たちの病気について語るようになった。これがわたしたちの文明の最新成果なのである。
ウヴェ・ペルクゼン 糟谷啓介(訳) (2007). プラスチック・ワード:歴史を喪失したことばの蔓延 藤原書店 pp.159-160
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