イングランド王チャールズ2世が1685年に突然亡くなったとき,廷臣たちは説明を要求した。王の侍従団はなんとか責任を逃れたいとの思いから,多くの日誌類を公表した。これらの記録は,王が当時としては最高の治療を受けていたことを明確に証明するものだった。
2月2日,お目覚めの際,王は気分がすぐれなかった。髭剃りを中断し,1パイント(約500cc)の血液を採取。使者を出して精鋭の医師団を招集し,吸盤を使用してさらに8オンス(約240cc)の血液を採取。
陛下に有毒の金属であるアンチモンを嚥下していただく。嘔吐される。一連の浣腸を実施。有害な体液を下降させるため,頭皮に発泡薬を塗布。
下降した有害な体液を吸収するため,ハトの糞などの刺激物質を足の裏に塗布。さらに10オンス(約300cc)の血液を採取。
気力回復のため砂糖飴を摂取いただいた後,灼熱した鉄棒で突く。その後「一度も埋められたことのない男—非業の死をとげたことは確認済み—」の頭蓋骨から滲出した液を40滴投与。最後に西インドのヤギの腸から採取した砕石を王の喉に押し込む。
チャールズ王は1685年2月6日に亡くなった。
ネイサン・ベロフスキー 伊藤はるみ(訳) (2014). 「最悪」の医療の歴史 原書房 pp.68
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