2004年10月にイラクで香田証生さんがテロ組織「アルカイダ」の武装集団に惨殺された事件はまだ記憶に新しい。日本の新聞各社は,武装集団の要求に従わず,自衛隊を撤退させなかった当時の小泉首相の判断に賛同する社説を相次いで出した。そして世間からは「自己責任だ」という批判も飛び出した。この事件を引き合いに出すわけではないが,フィリピンの困窮邦人に対して国援法(国の援助等を必要とする帰国者に関する領事館の職務等に関する法律)を適用するか否かは,最終的にこの自己責任論と大きく結びついてくるのではないかと思う。だがこの自己責任論は明確な線引きがないため,結局は道徳的判断に帰結せざるを得ない。香田さんの事件については,「小泉政権が見殺しにした」などの違反も相次いだが,日本政府が香田さんを救出するために仮に自衛隊を撤退させた場合,それで国民の大半は納得しただろうか。イラクに入国し,危険地域に足を踏み入れるか否かは個人の判断に委ねられている。それは個人に与えられた自由という言い方もできるだろう。外務省が渡航勧告で自粛を促したところで,個人の判断の自由にまで踏み込んで入国を制約することはできない。だが,自由には必ず責任がついて回る。個人に与えられた自由の下で判断し,選択した行動に対して,国はどこまで責任を負えるのか。あるいは負わなければならないのか。
水谷竹秀 (2011). 日本を捨てた男たち:フィリピンに生きる「困窮邦人」 集英社 pp.209
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