アメリカ先住民もまた,画家のジョージ・カトリンがミズーリ川上流のマンダン村で観察したように,熟達した泳ぎ手だった。「彼ら全員が達者な泳ぎを身につけている」と記している。「彼らのなかでいちばん下手な泳ぎ手でさえ,ミズーリ川の渦巻く流れにひるむことなく飛び込み,実に楽々と横断する。男女ともごく小さいうちから泳ぎを習い,女性たちは強くたくましくなった筋肉で子供を背負って,どんな川に出くわそうとうまく渡る」。ミナタリー族の女性の一団は「長い黒髪を水面になびかせ,カワウソやビーバーの群れのように悠々と泳ぐ」
アフリカのさまざまな部族民も,楽々と泳ぐ姿で多くの旅人たちを魅了した。1454年には,彼をかいくぐって泳いでいく西アフリカ人のグループを見たヴェネチア市民の探検家カドモストは,彼らのことを「世界一の泳ぎ手」と呼んでいる。18世紀のスコットランド人探検家マンゴー・パークはイサッコという名のアフリカ人ガイドを連れていた。イサッコが川を泳いで渡ろうとしたとき,巨大なワニがその太腿に噛みついた。当時,報告された話によると,ワニは「普通なら,間違いなくそのばかでかい顎で腿を噛み砕いて引きちぎっていただろう。だが,その黒人はワニと同じくらい潜水にも泳ぎにも達者だったので,素早く体を回転させ,両の親指をワニの目に突っ込み,えぐり出した」。ワニがもう一方の太腿をとらえると,イサッコはさきほどと同じ罰を与えた。ついにワニは彼を放した。イサッコが安全な場所まで泳いで逃げたところで,パークが傷口の手当てをして救援を締めくくった。
こういった話はヨーロッパでむさぼるように読まれ,ついに水泳の流行に火がついた。かくして19世紀は水泳の世紀となり,男も女も海岸に押し寄せはじめた。
リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.44-45
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