「南北戦争以前は,白人よりも多くの黒人が泳いでいた。ところが白人が水泳を“発見”すると,黒人は安全なビーチや国中のプールから完全に締め出されてしまった」ウィゴは激昂する。「そして白人文化は,他のおそらく何よりもプールにおける人種差別撤廃に激しく抵抗しました」。彼は法や偏見が白人以外のすべての人々を水から締め出した人種隔離時代の数十年に起きた醜い事件や悪意に満ちた暴動を思い出させた。多くのプールが人種差別撤廃に応じるくらいなら,むしろ,ただ閉鎖したのだ。
“黒人用”プールを建設する動きは,1940年のニューヨーク市公園局による,黒い肌のスイマーを白い肌の者たちから分離する「水泳を習おう」というポスターで,あからさまに宣伝された。ウィゴに言わせると,「“分離はしているが平等な”施設を提供しようとする窮余の一策」だった。だが,それも手遅れだった。「すでに黒人コミュニティの水泳文化は破壊されてしまっていた」からだ。
こうしてアフリカ系アメリカ人は数世代にわたり水泳の伝統を受け継がずに成長してしまった。その結果,「黒人のもっともよく知られたステレオタイプが“カナヅチ”です。黒人の子供とスイミングチームの話でもしてごらんなさい。彼らは黒人の友達になんて思われるか心配しますよ。“白人のまねをしている”ってことになるんですから」
リン・シェール 高月園子(訳) (2013). なぜ人は泳ぐのか?水泳をめぐる歴史,現在,未来 太田出版 pp.52-53
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