ウィリアム三世統治下の1699年,英国議会は窃盗を厳罰化する法律を可決した。この“万引き法”は1688年から1800年に制定された150を超える法律のひとつで,多くの犯罪を死刑と定めたため,のちに“血の法典”と呼ばれた。この法律によって,5シリング以上の物品を万引きした者は絞首刑に処されることになった(窃盗犯の流刑地だった北米植民地やオーストラリアのボタニー湾近辺の地が,1660年以降,イギリスの受刑者を徐々に受け入れなくなった事態への代替策でもあった)。また,万引き犯を警察へ突き出した者は公職奉仕の義務を免除される,とも定められた。“血の法典”では,5シリング以上の価値の物品の万引きなど,一部の重罪から“聖職者の特典”と呼ばれていた恩赦も削除された(14世紀以来,免罪符として知られる聖書の詩篇51篇の冒頭部を読むことのできた罪人は,流刑や死刑を免除され,焼印だけで放免されたことがあったのだ)。
こうした厳しい万引き法をもってしてもこの犯罪は減らなかった。殺人件数は少なかったが,万引きも含めた窃盗全般は急増する。多くの歴史学者が認めるように,当時,ロンドンの全犯罪の大半を占めたのが窃盗である。
レイチェル・シュタイア 黒川由美(訳) 万引きの歴史 太田出版 pp.30-31
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