ジャックはろばのように愚かだ (I)
ジャックはろばのようだ (II)
ジャックはろばだ (III)
ろばだ! (IV)
この4つの表現において,Iが典型的な直喩でありIVが典型的な隠喩であることは,言うまでもあるまい。IとIIは直喩でIIIとIVは隠喩だ,と言うこともできる。しかしIIとIIIのあいだにも,一種の連続性がある(たとえば日本語で,IIとIIIのあいだに,「ジャックはろばに似ているどころではない」,「……ろば同然だ」,「……ろばと違いはしない」,「……ほとんどろばだ」,「……ろばそのものだ」などと言ってみればどうなるか)。
「このように提示してみると,切れ目のない連続性という錯覚が生じてしまう,すなわち〔IからIVまでの〕すべての言いあらわし方はどれも,それぞれ先行する言いあらわし方に省略変形を加えたものとして説明されそうである。とすれば,直喩と隠喩のあいだには同じ深層構造があるのだということになりかねない〔……〕。」と,ル・ゲルンは説き,そこから,形式にもとづく比較はまとはずれであることを主張する。
佐藤信夫 (1992). レトリック感覚 講談社 pp.114-115
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