イースター島に数多くの謎があることは,すでにヨーロッパから訪れたこの島の発見者ヤコブ・ロッへフェーンも気づいていた。オランダの探検家であるロッへフェーンは,復活祭日(イースター・デー;1722年4月5日)にこの島を見つけ,今なおのコルソの呼び名を,発見日に因んでつけたのだ。到着時のロッへフェーンは,大型船3隻でチリを出発して以来,まったく陸地を見ずに,17日間かけて太平洋を突っ切ってきたところだったので,船乗りとして当然の疑問を抱いた。イースターの岸辺で出迎えてくれたポリネシア人たちは,いったいどうやって,これほど辺鄙な島にたどり着いたのか?今では,西方向にあるポリネシアの最寄りの島から出航してイースター島に着くまで,少なくとも同じ日数を要しただろうということがわかっている。ロッへフェーンと後続の訪問者たちは,島民たちの水上移動の手段が水漏れのする粗末な小型のカヌーだけだと知って驚いた。長さはわずか3メートルで,ひとり,もしくはせいぜいふたりしか乗れないものだったからだ。ロッへフェーンの記録によると,「島民たちの帆船は,扱いづらく,作りも華奢である。その小舟は,雑多な小型の厚板と内装用の軽い木材を組合せ,野生植物から採った非常に細い撚糸で器用に縫い合わせてある。しかしながら,島民は知識不足で,ことに,水漏れ防止用の材料と,船体の至るところにある縫い目を閉じる材料を持っていないので,この船は非常に水漏れを起こしやすく,漕ぎ手は乗船時間の半分を水の掻い出しに費やさねばならない」という。こんな状態の船しかないのに,作物とニワトリと飲み水を携えた入植者たちは,どうやって2週間半にわたる海の旅を無事に乗り切ったのだろうか?
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.126-128
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