イースター島民がアメリカではなくアジアに起源を持つ典型的なポリネシア人であること,そして,イースター島の文化が(石像さえも)ポリネシア文化から派生したものであること,このふたつを立証する数々の証拠に,ヘイエルダールもフォン・デニケンも目を向けようとしなかった。1774年,クック船長が短期滞在した際,同行のタヒチ人とイースター島民とが会話を交わせることからすでに判断しているように,イースター島の言語はポリネシア系のものだ。正確にいうなら,イースター島民はハワイ語及びマルケサス語と同系の東ポリネシア系のものだ。さらにいえば,初期マンガレヴァ語として知られる方言とも関わりが深い。イースター島の釣り針や石製の手斧,銛,珊瑚製の鑢などの道具は,典型的なポリネシア様式を呈し,特に初期のマルケサス型に類似している。また,島民たちの頭蓋骨の多くに,“ロッカー・ジョー”として知られるポリネシア独特の形状が見て取れる。イースターの台座で発見された12個の頭蓋骨からDNAを抽出し,分析したところ,すべての検体に,大多数のポリネシア人に見られる9塩基対欠失と3つの塩基置換が認められることがわかった。この3つの塩基置換のうちふたつが,南米住民には見られないもので,これは南米住民がイースター島の遺伝子給源に資したとするヘイエルダールの説に対する反証となる。イースター島の作物であるバナナ,タロイモ,サツマイモ,サトウキビ,カジノキは,おもに東南アジアを原産とするポリネシアに特有の作物だ。イースター島唯一の家畜であるニワトリもポリネシア特有のもので,もとをたどればアジアが原産であり,また,最初の入植者のカヌーで“密航”してきたネズミについても。同様のことがいえる。
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.136-137
PR