人間が多すぎて食糧が少なすぎるという状況のなか,マンガレヴァ社会は,内乱と慢性的な飢餓という泥沼にはまり込んでいった。その顛末は現代の島民たちによってもつまびらかに言い伝えられている。人々は蛋白質を求めて人肉食に走り,死んだばかりの人間の肉を貪るだけでなく,埋葬された遺体まで掘り起こしたという。残された貴重な耕作地を巡って,絶え間のない争いが続き,勝ったほうが負けたほうの土地を奪って分け合った。世襲の首長を頂く階級制の政治組織に代わって,非世襲の戦士たちが支配権を握った。島の東西に分かれたちっぽけな軍事政権同士が,差し渡しわずか8キロメートルの島の支配権を巡って戦闘を繰り広げるのは,いかにも滑稽な状況だが,事情はそこまで切迫していたわけだ。そういう政治的混乱は,それだけでも,カヌーで遠出するのに必要な人出と物資を集めたり,自分の畑をほったらかして1ヵ月留守にしたりすることの妨げになっただろうが,そもそもカヌーを造るための木材が払底していた。ワイズラーが手斧の材料である玄武岩を同定して実証したとおり,中心であるマンガレヴァ島の崩壊に伴って,マンガレヴァ島とマルケサス諸島,ソシエテ諸島,トゥアモトゥ諸島,ビトケアン島,ヘンダーソン島を結んでいた東ポリネシアの交易網は解体したのだった。
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.210-211
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