1975年,古生態学者のフリオ・ベタンクールは,観光客としてニューメキシコ州を車で通過しているときに,たまたまチャコ峡谷を訪れた。そして,プエブロ・ボニート周辺の樹木のない風景を見下ろしながら,こう自問した。「まるで,疲弊したモンゴルの草原みたいだ。ここに住んでいた人々は,どこで材木と薪を手に入れたんだろう?」。この遺跡を研究する考古学者たちも,長いあいだ同じ疑問に頭を悩ませていた。3年後,フリオは,まったく関係のない理由で,友人からモリネズミの廃巣研究について助成金申請書を書くよう頼まれたとき,瞬間的な閃きを感じて,プエブロ・ボニートを始めて見た時の疑問を思い出した。さっそく廃巣の専門家であるトム・ヴァン・ダヴェンデールに連絡したところ,トムがすでにプエブロ・ボニート付近の国立公園局のキャンプ場で廃巣を採集していることが確認できた。その廃巣のほぼすべてに,ピニヨンマツの針状葉が含まれていたという。現在そのマツは,採取地点から数キロメートル以内の範囲にはまったく生えていないというのに,どういうわけか,プエブロ・ボニートの建築の初期段階で屋根の梁材に使用されており,同様に,炉床及びごみの堆積物中の木炭も,大半がこのマツだった。トムとフリオは,これらの廃巣が,近隣にマツが生えていたころの古いものに違いないと気づいたが,どの程度古いものかは見当もつかず,ことによると1世紀くらい前のものかもしれないと考えた。そこでふたりは,これらの廃巣の試料を放射性炭素法で測定させた。放射性炭素法の研究室から出された年代を聞いて,ふたりは愕然とした。廃巣の多くが,1千年以上前のものだったからだ。
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.232
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