今,われわれはこう自問せずにはいられない。いったいなぜアイスランドの入植者たちは,明らかに被害を招くような方法で土地を管理する愚を犯したのだろうか?何が起こるかを認識していなかったのだろうか?そのとおり。入植者たちはその危険性を認識したものの,当初は気づくことができなかった。なにしろ,不慣れなうえに厄介な土地管理という問題を相手にしていたのだ。活火山と温泉を別にすれば,アイスランドは,すでに入植ずみのノルウェーやイギリスとかなり似た土地に見えた。入植者たちにしてみれば,アイスランドの土壌と植生が既知のものよりずっと脆弱だという事実など推し量る手立てもない。スコットランドの高地と同じく,アイスランドでも,高地を領有して多数のヒツジを放つのが当然だと思われたのだ。アイスランドの高地では保有できるヒツジの頭数が制限されること,さらに,低地でもヒツジの頭数が過剰になり始めることなど,知る由もなかった。要するに,アイスランドがヨーロッパで最も深刻な生態学上の被害を受けたのは,ノルウェーとイギリスでは慎重だった移民たちがアイスランドに上陸したとたん分別を失ったからではなく,ノルウェーとイギリスの経験則では,一見豊かなアイスランドの環境に潜む脆弱性に対応できないという事実に気づくのが遅すぎたからだ。
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻) 草思社 pp.317-318
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