ヨーロッパから来た探検家や入植者たちの目には,ニューギニア高地人は“原始的”に見えた。人々は草葺き屋根の小屋に住み,部族間の戦争に明け暮れ,王どころか首長さえ立てず,文字を持たず,豪雨を伴う寒冷な気候条件下でもほとんど衣服を身に着けない。また,金属を持たないので,代わりに石と木と骨で道具を作る。例えば,樹木を切り出すには石の斧,菜園や用水路を掘り起こすには木の棒,一戦交えるには木の槍と矢,そして竹のナイフという具合だ。
しかし,“原始的”なのは,見かけだけだった。彼らの農法は洗練されており,今日でも,なぜニューギニアの農法が成功する一方で,ヨーロッパから善意で持ち込んだ革新的な農法がかの地では失敗したのかと,ヨーロッパの農学者たちが首をかしげる事例があるほどだ。例えば,ヨーロッパのある農業指導者は,ニューギニアの湿潤な地域の急斜面に作られたサツマイモ畑に,斜面をまっすぐ下へ走る垂直の排水路が設けられていることに気づいて仰天した。指導者は,村人たちを相手に,その恐ろしい間違いを修正して,ヨーロッパの優れた習慣にならい,地形に沿って水平に走る排水路を掘るよう説いた。気圧された村人たちは,排水路の方向を改めたが,その結果,排水路の深部に水が溜まり,次の豪雨の際に地すべりが生じて,畑がまるごと斜面の下の川まで運び去られてしまった。まさにそういう自体を避けるべく,ニューギニアの農民たちは,ヨーロッパ人が渡来するずっと前に,高地特有の降雨と土壌の条件下で垂直の排水路を設ける利点を学んでいたのだ。
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.17-18
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