日本で育林の興隆が促されたのは,制度や手法が全国でほぼ統一されていたからだ。当時数百の公国や小国に分かれていたヨーロッパの状況とは異なり,江戸時代の日本は単独の政府に統治された国家だった。南西部は亜熱帯気候,北部は温帯気候に属するが,国全体が一様に高湿で,起伏に富み,侵食を生じやすく,火山性の起源を持ち,森林に覆われた急峻な山脈と平野の農耕地に分かれているので,ある程度育林の条件に生態系上の統一性が得られる。日本古来の多様な森林の利用法,つまり支配層が木材の権利を主張し,農民が肥料や飼料及び燃料を集める方式に代わって,植林地は木材生産という主要な目的用に限定され,他の目的は木材生産に支障のない範囲でのみ許可されるようになった。役人が山林を巡視して,不法な伐採行為を取り締まった。こうして,植林による森林管理は,1750年から1800年のあいだに日本に広く受け入れられ,1800年までには,日本の長期にわたる木材生産の落ち込みは上昇に転じた。
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.50-51
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