第1に,大量虐殺が発生した理由になんらかの“解釈”を与えると,それは“弁明”と受け取られかねない。しかし,ある大量虐殺について,単純化しすぎたひとつの要因による解釈に達しようが,過度に複雑な73の要因による解釈に達しようが,ルワンダの大量虐殺をはじめ,悪事の実行犯たちがとった行動に対する個人的な責任が変化するわけではない。悪の根源について論じる場合,いつもこういう誤解が生じる。解釈と弁明を混同している人たちは,どんな解釈にも反発する。しかし,ルワンダの大量虐殺の根源を理解することは,たいへん重要なのだ。殺人者に責任逃れをさせたいからではなく,ルワンダや,他の場所でのあのようなことがふたたにお起こる危険性を減らすために,その知識を利用したいからだ。同じような目的から,ナチのホロコーストの根源を理解すること,あるいは連続殺人犯と強姦犯の心理を理解することに生涯を捧げる決意をした人々もいる。彼らがそういう決意をしたのは,ヒットラーや連続殺人犯や強姦犯の責任を軽減するためではなく,ああいう恐ろしいことがなぜ現実となったのか,再発を防ぐ最善の方法とは何かを探るためだ。
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.84
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