社会的・政治的相違のひとつには,ハイチが裕福なフランスの植民地であり,フランスの海外領土の中で最も貴重な植民地になった一方で,ドミニカ共和国はスペインの植民地だったものの,16世紀後半にはそのスペインがイスパニョーラ島を放置して,みずからも経済的・政治的に衰退していったことが挙げられる。つまりフランスは,ハイチにおける奴隷を基盤とした集約的なプランテーション農業の発展に投資することができ,実行にも踏み切ったが,スペインにはその意図も力もなかった。フランスは,スペインよりもはるかに多くの奴隷を植民地へ送り込んだ。その結果ハイチは,植民地時代には隣国の7倍の人口をかかえ,現在でも,ドミニカの880万人に対し1000万人と,若干多い人口を有している。しかし,ハイチの面積は,ドミニカ共和国の面積の半分をわずかに上回る程度なので,人口密度ではハイチがドミニカの倍の高さになる。人口密度の高さと降雨量の少なさの組み合わせが,ハイチ側の急速な森林伐採と地力の劣化の主因となった。それに加えて,ハイチに奴隷を運んでくるフランスの船はすべて,ハイチの木材を積み込んでヨーロッパへ戻ったので,19世紀半ばまでには,ハイチの低地と山腹は森林資源をあらかた剥ぎ取られてしまった。
ジャレド・ダイアモンド 楡井浩一(訳) (2005). 文明崩壊:滅亡と存続の命運を分けるもの(下巻) 草思社 pp.103
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