数頭の牛を飼うことのできた農家では,搾乳後すぐにチーズを作り始められるだけのミルクが採れたのだろう。荘園の農家の女性がコルメラのフレッシュチーズの手法(まだ温かい新鮮なミルクを,非常に強いレンネットで急速に凝固させる方法)をそのまま修正しないで使ったとしたら,出来上がったチーズは水分量の多い,しかし酸味の少ない特徴のものになっただろう。
このチーズを,根菜用の地下室のような涼しくて湿度の高い環境で保存すると,チーズの表面には酵母が発生しやすくなり,そこにオレンジ色の色素を持った,コリネバクテリア菌が増えていく。初めは偶然の産物だったが,のちには計画的に,チーズの表面に付着した,ピンの先ほどのオレンジ色のコリネバクテリア菌のコロニーを擦って,チーズの表面全体に手で塗り広げ,濃度の低い塩水で湿らせることで,赤みがかったオレンジ色のバクテリアの層がチーズの表面全体に広がるようにしたのではないだろうか。
この基本技術は塗抹熟成とかウォッシュと呼ばれる1つのグループを生みだした。フランス北西部のチーズの作り手はこの方法を用いて,ポン・レヴェックなどのコリネバクテリア菌が優勢なタイプのチーズを作りだした。ウォッシュタイプのチーズは,ヨーロッパ北部の修道院でのチーズ作りと長年にわたって関係があったことから「修道院のチーズ」と呼ばれることも多い。
ポール・キンステッド 和田佐規子(訳) (2013). チーズと文明 築地書館 pp.182-183
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