「プロの殺人者,たとえば死刑執行人は,たぶん人の命を奪っても何も感じないかもしれない。おそらく良心の呵責や後悔の念が入り込むことはない。トレーダーの場合も似たようなものだ。取引が完了することを仲間内では『執行』という。よく使われる業界用語だ。取引が執行されたら,非常に優秀なトレーダー——きみが興味を持っているような連中は,平気でさっさと帰っていく。なぜとかどこへとか,賛成とか反対とか,正しいか間違っているかなんてことは,これっぽっちも考えない。
しかもそれは,さっきの話に戻れば,取引の出来不出来とはいっさい関係ない。大儲けしようとすっからかんになろうと関係なしだ。取引を終えるのは冷静かつ客観的な意思決定であって,なんらかの感情だの,心理的な影響だのを伴ったりはしない……。
プロとして大成するには,株式市場にかぎらず,ある種の切り替えが必要だと思う。目の前の仕事だけに集中できる能力。そのp仕事が終わったら,さっさと立ち去ってきれいさっぱり忘れてしまう能力だ」
もちろん,過去に生きるというのは対立項のひとつにすぎない。未来に生きること,「先走りすること」,想像力の暴走を許すこと——わたしが「強化コンクリート」とやらの下でやってしまったように——も,同じくらい能力を奪う。たとえば,意思決定の機能不全に関連して認知的・情動的1点集中を調べた結果,ふつうの日常的な行動——プールに飛び込む,電話の受話器を取る,悪い知らせを伝えるなど——では,こうなるかもしれないという「想像」のほうが,「現実」よりもはるかにわたしたちを惑わせることがわかった。
わたしたちが何かと先延ばしにしたがるのはそのせいだ。
一方,サイコパスは決して先延ばしにはしない。
ケヴィン・ダットン 小林由香利(訳) (2013). サイコパス 秘められた能力 NHK出版 pp.256-257
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