ネガティブな情報はなぜ,どのように,不安症の人の心を強く引きつけるのだろう?この疑問を解明しようとする研究のごく早い段階で,わたしはあることに気づいた。
対照群として実験に参加した人々は,あまり不安を感じず,どちらかといえば楽観的だからこそ対照群に選ばれたはずだ。わたしは当初,対照群の被験者はポジティブなものごととネガティブなものごとの両方に同程度の注意を向ける,非常にバランスのとれた人々なのだと予測していた。けれど実際には,対照群の人々にも認識の偏りがあった。これは当時としては驚きだった。当時の理論では,不安症の人は良いニュースを認識のフィルターからはじき,悪いニュースばかりを感知しているからこそ不安におちいるのだと,そして不安をあまり感じない人は,良いニュースと悪いニュースの両方に同じほど重きをおいているのだと考えられていたのだ。
だが,不安症でない人にはネガティブな情報を避ける方向に強い偏りがあることが研究を進めるうちにわかってきた。嫌な感じの画像や言葉が画面に浮かぶと,彼らはすぐにそこから注意を逸らしてしまう。不安症の人が悪いニュースについ引き寄せられるのと同じように,不安症でない人にはそうしたニュースを避けようとする偏りがある。けれど,被験者はだれひとり,自分のそうしたバイアスに気づいていなかった。おおかたの被験者は「たくさんの写真が画面に出てきたのはわかった。けれど,三角形に反応することばかりに気をとられていて,どんな写真のときにどうだったかということには気づかなかった」と語った。三角形が,ポジティブな画像とネガティブな画像のどちらの側にあらわれるかで,発見にかかる時間が変化していたこと,そこに一貫性があったことを説明しても,被験者たちはなかなかそれを信じようとしなかった。
エレーヌ・フォックス 森内薫(訳) (2014). 脳科学は人格を変えられるか? 文藝春秋 pp.46-47
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