私が気に入っている説は,アイデンティティ(自我同一性)が関係しているというものだ。記憶とアイデンティティとの間には密接な関係があり,私たちはそのせいで思い出によって落ちこんだり苦痛を感じたりする。この記憶とアイデンティティの関係をヒントにすれば,思い出の隆起の謎が解けるかもしれない。ほとんどの人たちは青年期の終わりから20代初めにかけて,自分が何者で,何者になりたいかを模索する。例のジョンとリチャードの実験を行なったリーズ大学の心理学者マーティン・コンウェイが提唱したところによると,アイデンティティを確立するこの時期には特に記憶が鮮明になり,人はその記憶を何度でも振り返ることで,確立したアイデンティティが維持しやすくなるのだという。この説が本当なら,ある種の大きなアイデンティティの変容を青年期以降に経験した人は,その新たなアイデンティティを強化するために,2度目の思い出の隆起を経験するのではないだろうか。コンウェイはバングラデシュの人々の記憶を調べた際に,まさにこの2度目の思い出の隆起を発見している。バングラデシュの人々はパキスタンからの独立戦争を経験したあと,1970年代に新たな生活を始めたのだ。
クラウディア・ハモンド 度会圭子(訳) (2014). 脳の中の時間旅行:なぜ時間はワープするのか インターシフト pp.168
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