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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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話は改善される

 明らかな答えは,それが不当な尊敬を獲得するための方法だということである。社会生活の基本的原理の1つは,何か言うべきことをもっている人間に社会が特別な地位を与えるということである。ニュース価値のある出来事の現場にいた,あるいは密接にそれにかかわりあいさえあったということは,その人間を,社会にとって貴重な情報源にする。その人物は,「そこにいて」,衝撃を与える情報をもつ人間となる。それは「目撃の力」とでも呼ぶべきものを人に授ける。したがって,たとえいなくとも,現場にいたと断言したい誘惑に駆られたとしても不思議はないのである。
 しかし,この答えは,少なくとも私が関与を認めるものを超えた幅広い罪を覆い隠してしまうことになるだろう。真相は,話を発明することはかりにあったとしてもごくまれで,私は単にそれを改善するだけということである。そして心理学的には----おそらくは,道徳的にも----いかなる根拠もない話をでっちあげることと,既存の事実にわずかな破格を認めることのあいだには大変な違いがある。無からはなにも生じない。もし私がまったく見てもいなければ,セスナ機の着陸を見たとは,絶対に言ったりはしなかっただろう。ワーテルローで戦った先祖というのでさえ,少なくとも私の側に半分の事実がなければ,そんな話はしなかっただろう。
 私が何もないところから話をつくりあげることはけっしてないと言っているのではない。しかし,通例は,現実世界になんらかの準=合法的な口実を提供してくれないかぎり,してくれるまでは,そういう誘惑に乗ることはない。いわば,私は,自分で「ニアミス」----ひょっとしたらそこにいたかもしれないとか,隣にいる人間に何かが起こるとか,針にかかった魚が逃げるとか,宝くじの当選番号が1番違いだったとか----体験をしていなければならないのである。

ニコラス・ハンフリー 垂水雄二(訳) (2004). 喪失と獲得 進化心理学から見た心と体 紀伊国屋書店 p.262-263
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