人間は,だれかを傷つけたら,少なくとも多少の罪悪感や良心の呵責を覚え,謝罪したいと思うものだ。だが,サイコパスには,そのような考えかたをぼんやりとしか理解できない。ときには,罪悪感や良心の呵責を感じるのは世間の人々の興味深い弱点で,自分はそれをうまく利用できるのではないかと考える。自分の行動が,自分にとっても他人にとっても最悪の結果を招く可能性にひるむこともない。その理由として,サイコパスが過去や未来よりも,目の前の現実を重視することが挙げられる。
また,感情が乏しいせいで,他人が自分とは比較にならないほど豊かな感情を持っていることを理解しにくいともいえるだろう。薄情であるがゆえに,他人のことを自分の思いどおりに動かせる駒や道具として見ることができる。
言い換えると,サイコパスは,他人の感情の動きよりも,知性や認識力を理解することが得意ともいえる。その結果,自分にとって利用できるか否かによって,相手の価値が決まることになる。使用ずみの他人はさっさと捨ててしまう。相手の気持に無関心でなければ,これほど非情で乱暴なやり方で人を見捨てることはできない。他人との情緒的,社会的な絆がほとんど見られず,あったとしても希薄だからこそ,サイコパスは平然と他人との関係を断てるのだ。
ポール・バビアク&ロバート・D・ヘア 真喜志順子(訳) (2007). 社内の「知的確信犯」を探し出せ ファーストプレス pp.77-78
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