ここで,両親の行為を,ほかとは違う道徳的規則の管轄下にあるものとして扱わなければならない理由は何一つ存在しないと,私は言いたい。
もちろん,子供に対する親の関係は,あらゆる面で特別なものである。しかし,子供の個人としての個性を否定するほどに特別なものではない。それは外延を共有する関係でも,所有の関係でもない。子供は親の一部ではないし,比喩的な意味以外に親に「属する」わけでもない。子供は,いかなる意味でも両親の私有財産ではない。実際,この同じ問題について別の文脈で述べられた合衆国連邦最高裁判所の言葉を引くと,「個人は彼自身に属するものであり,他者にも,全体としての社会にも属するものではないというのは,道徳的事実」なのである。
したがって,もし両親の個人的な目標の達成のために子供が利用されれば,ほかの誰かによって利用されたのと同じように,子供の権利への侵害なのである。
ニコラス・ハンフリー 垂水雄二(訳) (2004). 喪失と獲得 進化心理学から見た心と体 紀伊国屋書店 p.355
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