この異常事態を引き起こした原因を,さらによく読者に理解していただくため,追いつめられた大学研究者の立場をより具体的に説明しよう。
(1)幸運にも研究費の配分にあずかった研究者(特に,研究履歴の短い若い研究者)は,「成果をただちにあげねばならない」という重圧を感ずる。
(2)政府の会計年度は,毎年4月1日に始まり翌年の3月末日に終わる。しかしすでに述べたように,実際の研究費が大学に交付され,研究が可能になるのは,6月である。つまりこの年度の最初の2か月は研究の空白期間になる。
(3)研究者の研究成果の報告は,筆者の経験では研究費交付年度の11月ごろである。つまり,研究者が研究成果をあげるための期間は半年に過ぎない。
(4)もし研究者が研究費交付の初年度内に学術誌に論文を発表し,研究能力の高さを示そうと思えば,研究機関はさらに短くなる。なぜなら論文を学術誌に投稿し受理され,実際に出版されるまでには,1か月単位で時間がかかるからである。
(5)実際には個々の研究プロジェクトは数年間継続するので,研究者はこの期間内に,なるべくインパクトファクターの高い(たとえば『ネイチャー』誌のような)学術誌に論文を発表しようとする。
論文が出せないか,あるいはインパクトファクターの低い学術誌にしか発表できなければ,その研究者は能力に乏しいと見なされ,その将来は暗いものになる。わが国特有の,浅薄な「インパクトファクター偏重」の弊害である。
(6)権威ある学術誌に論文が受理されるには,論文の内容がインパクトに富む必要がある。この目的のためには,たとえ研究者の守るべき倫理から「多少」外れても,論文原図の切り貼りが有効である。すでに説明したように,インパクトファクターの高い雑誌でも,査読者は玉石混交になりがちで,見た目に綺麗な原図が揃っていれば,彼らに与える印象は格段に良くなる。
ここで「多少」という言葉を用いたのは,この言葉の研究者自身による解釈が,「悪意,あるいは故意による論文の捏造」か,あるいは「悪意のない論文の改変」か,を分ける分岐点だからである。この分岐点の判断は個々の研究者の主観に依存するので,第三者による判定は著しく困難である。
杉 晴夫 (2014). 論文捏造はなぜ起きたのか? 光文社 pp.78-79
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