このように考えると,多くの雑誌に毎年数万編も発表される論文のうち,時間の経過に耐え,後世に残るのは,天才の執筆したごく少数の論文に過ぎない。したがって,いくら捏造論文が蔓延っても,学問の進歩はこれによって基本的に影響を受けることはないであろう。
事実,論文捏造事件についての米国の代表的な研究者の意見は,おおむね楽観的で,「査読制度で論文の捏造を見破ることは不可能である。しかし,現在の論文査読制度は,概してよく機能しており,これに代わる制度を考える必要はない」と要約される。
つまり,「学問の進歩は,捏造論文によっては阻害されない。捏造論文は,ノーマルサイエンスを行なっている研究者たちを一時的に惑わすことがあっても,これはしょせん大海の漣に過ぎず,いずれ時間の経過とともに消えてゆく」という楽観論である。
これは欧州中世の暗黒時代の,宗教による偏見と迫害に耐えて学問を進歩させた天才たちの伝統を背景とする,欧米の科学者たちの自信の表れであろう。
ただし,わが国の研究者が,軽々しく彼らの楽観的な意見に同調してはならない。なぜなら,わが国では学問を効率的に導入した実績はあっても,生命を賭けて学問を進歩させた伝統などはないからである。
杉 晴夫 (2014). 論文捏造はなぜ起きたのか? 光文社 pp.181-182
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