当時,すべての精神分析家はひとりの男に師事していた。その名は,ジークムント・フロイト。ボウルビーが精神医学の勉強を始めたとき,フロイトは73歳で,ウィーンの裕福な地域に住んでいた。しかし,続く10年間で,ナチスは彼の家も財産も出版所も蔵書も没収した。妹たちは全員,収容所のガス室で殺害された。フロイト自身は,妻と子どもたちとともに1938年にイギリスへと亡命したが,再び帰ることなく,安全な土地に到着して1年のうちに癌で亡くなってしまった。しかし,不幸な晩年の数年間ですら,フロイトの影響力は強大だった。もちろん,死後60年以上が経った今でも,その影響力はまだ残っている。ボウルビーの時代には,さぞ強かったことだろう。まるでフロイトのぼんやりくすんだ姿がいまだにそこに佇み,誰かの間違いや彼の理論に対する疑念に眉をひそめ,難色を示しているかのようだった。娘のアンナ・フロイトも,彼の影響力を維持するのに一役買っていた。彼女は第二次世界大戦後のイギリスでもっとも有力な精神分析家のひとりとなっていたのである。だが,フロイトの考えはそもそも十分に強力だった。永遠に精神分析界に挑みつづけられるほど,強力で刺激的だった。フロイトの死後,何年もの間,彼の考案した概念——潜在意識や性的抑圧,空想世界の力など——がそっくりそのまま残っていた。彼のおぼろげな姿は徐々に薄れていったものの,完全に消え去ってはいなかった。
デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.80
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