反論することがどれほど難しいか,ハリーにはわかっていた。ジョージ・ロマネスやケーラーをはじめとする一流の科学者たちが説得に失敗し,ワトソン派の行動主義やパヴロフ派の条件づけ理論が席巻していたというだけではない。科学者は何世紀もの間,動物はそもそも能なしであると主張し続けてきたのだ。ヒト以外の種を条件づけたり反応させたりすることはできるだろう。しかし,彼らが考えたり,感じたり,分析したり,悲嘆することはけっしてありあえない。1700年代,フランスの哲学者ルネ・デカルトは動物を機械になぞらえた。彼によれば,動物はけっして人間のように思考することはできない。動物は魂のない生き物であり,けだものという機械である。チャールズ・ダーウィンが進化論を唱えたときですら,そのような考え方が残っていた。ダーウィンは,人類と他の種の脳の仕組みは共通のはずだから,両者は共通の能力を持っているに違いないと明快に示唆した。ゴールドシュタインはそれを行き過ぎと感じ,進化論を完全に無視することにしたのである。だが,ダーウィンの信奉者にとっても,長きにわたって人間だけが保持してきた複雑な脳というものが動物にもあるという考えを完全に受け入れるのは難しかった。
デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.129
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