有名な心理学者のカール・ロジャースは,かつてウィスコンシン大学の心理学部でもっとも不幸だった者として,数十年経った今でもその名が挙げられている。ロジャースは,来談者中心療法を考案した。彼の意図は単純明快だった。心理学者がいつも患者より物事をわかっているとは限らないのだから,セラピストは患者の言うことによく耳を傾けなければならない。現在では広く受け入れられている考え方だが,当初は奇妙で受け入れがたいアイディアだった。数多くの心理学者が,新しい柔軟なカウンセリングをすべきだというロジャースの意見に抵抗を示した。なにしろ,人間の行動の専門家として訓練を受けてきたのだから無理はない。熱心な専門家の集まったウィスコンシン大学では,ロジャースが人間性心理学運動に賛同したことは,さらに罰当たりだった。1960年代,ロジャースと大学院時代にハリーの研究室にいたエイブラハム・マズローは,どちらもその運動のリーダーとなり,心理学はネガティブな感情や神経症よりも,人間の可能性の方に重きをおくべきだと訴えた。
今にして思えば,ロジャースが20世紀半ばのウィスコンシン大学にあまり溶け込めなかったのは当然のように思える。心理学部がまだハルのような数学的な行動モデルに追従していた時代に,彼は思いやりや良識について語っていたのだ。数学志向でない学者は,しばしば標準レベル以下として扱われた。学部のせいで,自分のような人間(と大半の学生)はずっと脅されているような気持ちにさせられている,とロジャースは不平を漏らした。ロジャースは教授会に出席する代わりに,コメントを吹き込んだテープレコーダーを置いておくようになった。7年間の勤務に終止符を打つ直前の1964年に学部に提出した報告種の中で,ロジャースは同僚の教員に対して,もはやこの場所には我慢ならないと断言している。ウィスコンシン大学の心理学教授たちは方法論にとらわれ,他人の揚げ足取りばかりしているため,「意義深い独創的な考えが生み出される可能性は皆無である」とロジャースは非難した。
デボラ・ブラム 藤澤隆史・藤澤玲子(訳) (2014). 愛を科学で測った男 白楊社 pp.166-167
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