厄介だったのは,検察側も弁護側も,相手側と対立する考えを持った専門家をうまいこと見つけてきては,まったく反対の主張をさせたことである。19世紀後半には,法廷での専門家の言い争いが人々の物笑いの種になった。ある法律ジョークはそれをこんなふうに描き出している。「世の中には3種類の嘘つきがいる。ふつうの嘘つきと,悪質な嘘つきと,科学の専門家である」。新しい科学の専門家たちが証人に採用してくれとやかましく騒いだところで,まったく無駄だった。どの証人を採用すべきか,どうして法に決められる?確実な事実に基づく裁きという理想は捨てがたいのである。
20世紀はじめ,改革精神に富んだアメリカ人たちは,裁きの場に新しい段階をもたらした。容疑者やその他の証人に対する科学的な尋問法である。こうした改革派は,いまこそ人間が正直かどうかを判断するために法律の世界で使われてきた古くさい方法を捨て,心理学という新しい科学を取り入れるべきだと主張した。エックス線の発見によって放射線科医が患者の肉体を透かし見ることができるようになったのとちょうど同じように——心の中まで見られるかもしれないと考えた医者もいたが——新しい科学装置を使えば,心理学者は証人の肉体を透かし見て,罪悪感をいだいていないか推測できる。科学的な尋問法の研究者は,人間の肉体が精神状態を物語る一種の情況証拠としての役割を果たすと考えていた。
ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.85
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