1927年,医学博士のジョン・A・ラーソンはシカゴという悪の巣を離れ,ジョンズ・ホプキンス大学医学部の特別研究員として精神医学を学ぶことになった。同大学のフィップス・クリニックの院長をつとめるアドルフ・マイヤーは,アメリカで最も影響力のある精神医学者だった。スイスで神経科学を学び,近代的な臨床技術を新大陸に導入した人物で,ウィリアム・ジェームズとジョン・デューイの影響を受け,「人間の新しい概念」に「真にアメリカらしい進歩」がもたらされる可能性を見いだしていた。ラーソンが特別研究員になれたのは,またしてもヴォルマーの人脈のおかげだった。ヴォルマーの執務室で,マイヤーはラーソンに引き合わされていた。マイヤーは自分の理論を「精神生物学」と名づけ,1926年にラーソンら青少年研究所の職員の前でその原理を説明している。
精神生物学は,競合する各学派をひとつの旗印のもとにまとめる学問だった。動的心理学を強調するフロイト学派,目に見える具体的な行動を重視する行動主義心理学,分類にこだわる精神医学,脳の機能に注目する神経科学,身体と感情の相関関係を研究する生理学,さらには環境の働きを探る社会学までも取り入れていた。この寄せ集めの各派を統合する軸となるのが,個々の患者——マイヤーは「人」というあっさりした呼び方をしている——に対する強い関心であり,人間はみな「自然の実験装置」であるとされた。動物は環境に適応しなければ淘汰されるしかないが,精神生物学者は生活環境に適応するのを手助けする。マイヤーの理論は単純であり,人道にかなったものだった。しかしあまりに単純化されすぎていて,道徳主義的にすぎると批判する向きもあった。
ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.153-154
PR