嘘発見器も,同じアメリカの流れに属するものであり,個人の主観的な判断にかわりに客観的な方法を持ち込み,政治的対立を科学で解消しようとする啓蒙運動の一種だった。知能検査が「G因子」という単純なことばで知能をとらえなおし,テイラー・システムが労働を一連の動作としてとらえなおしたのとちょうど同じように,嘘発見器は尋問をイエスかノーのどちらかで答えさせて嘘を追求する作業だととらえなおした。アメリカ人は,人間の優劣や労使の対立をめぐる問題に客観的な機械が答を出してくれるのではないかと夢見ていたが,ヴォルマーらも嘘発見器が公平な機械として正義の裁きをもたらしてくれるだろうと考えていた。実際,アフリカ系アメリカ人のコミュニティーには,嘘発見器が刑事裁判での偏見をなくす手段になるとして歓迎する向きもあった。アメリカで嘘発見器が期待を集めたのはそれが大きな理由だった。実情はともかく,被験者の信頼性を評価するのは検査機器であって検査技師ではないとされたからである。
ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.159-160
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