ある施設で働いていた若い心理学者は,自分の上司が嘘発見器の開発者として有名なあのジョン・オーガスタス・ラーソン博士であると知って驚いた。威厳のようなものがまるでなかったからだった。脚は不自由で,耳はほとんど聞こえず,目も悪く,呑み込みも遅かった。この心理学者は,ラーソンのことをとっくに80歳は超えていると思ったが,実際は67歳だった。それでもラーソンは「日に15時間から20時間」働き,牧師はラーソンが患者ひとりひとりに向ける思いやりに満ちた態度を賞賛した。「ラーソンは,その理想主義と,経済的な利益のために妥協するのを拒む性格のせいで,多くの人から誤解されている。自分の信念を守るときは躍起になる」。不正との激しい戦いを長年にわたって繰り広げた結果,ラーソンはまわりから変わり者として見られるようになり,映画『ドクター・ディッピーの療養所』に出てくる,自分の患者と同じくらい異常な精神科医に近い人物になっていた。
ラーソンは,精神科医としての最後の数年間を,各地の精神病治療施設の院長として過ごした。モンタナで10カ月,アイオワで2年,サウスダコタで1年働いたのち,70歳になった1963年からナッシュビルで隠退生活に入り,社会保障手当と月200ドルの年金で暮らしはじめた。
ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.335-336
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