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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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本当に測定しているのか

しかしながら,こういった新しい検査法はいかにも最新式で信頼できそうだが,古いポリグラフ技術の悩みの種であるあいまいさの問題を解決できたわけではない。新しい技術の研究者も,嘘と身体反応には関係があると——両者の間に何か介在しているものがあるにせよ——見なしている。もちろん,ここでいう「身体」とは内臓ではなく脳のことだが,研究者はあたかも脳の「感情」が下等な心臓や腹部よりも信頼でき,偽りにくいものであるかのように考えている(ただし,下等な器官が完全に無視されているわけではなく,腹筋の無意識の反応に注目する嘘発見技術もある)。具体的に言うと,ほとんどのfMRI研究者は,有罪知識を検査するとき,脳の前頭葉で何か特別な反応が出ていないかを探す。平静さを保とうとするのは,この部位の働きだと考えられているからである。この際に前提となっているのは,ありのままに記憶を思い出すのが人間の正常の状態であって,嘘はそれをごまかそうとする病的な行動にほかならないという考え方である。しかし,1世紀前にマーストンがミュンスターバークの言語連想検査をおこなっていて気づいたように,好んで嘘をつく者もいるし,意識しなくても平静さを保てる者もいる。実際,別のfMRI研究者は,モンテーニュが4世紀前に嘆いた事実を発見している。嘘は何十万もの形をとり,とっさにつく嘘もあれば,前もって周到に用意していた嘘もある。そのため,記憶や想像の産物がごた混ぜになっており,脳のさまざまな部位の働きが関係しているらしいのである。それに,罪悪感を感じやすい被験者もいれば,ふてぶてしい被験者もいる。20ドルの報酬で実験者の「興味深いシナリオ」に協力するのを被験者が拒んだら?記憶を勝手に作り出したり,とりたてて理由もないのに罪悪感を感じたり,平然と嘘を繰り返したりするのが人間の精神なのでは?進化の過程で動物が天敵を(無意識のうちに)あざむくすべを身につけたように,われわれも嘘をつくすべを身につけたのではないのか?

ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.358-359
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