民主主義についての思い込みは,科学についての思い込みと密接な関係がある。人々は科学が自然の謎を解き明かす的確な方法を提供し,取調官の個人的な偏見を排除してくれると思い込んでいる。嘘発見器に関しては,この思い込みは20世紀の新しい思想と対になっている。自然の生物である人間は,その考えや感情が身体に表れるという思想である。これに基づき,嘘発見器の提唱者たちはみずからの技術を組み合わせて機械仕掛けの預言者を作り,嘘の隠れた証拠を身体から読み取ることができるとした——が,こうした主張をするときに科学者ならふつう要求される詳細な検討作業は避けた。嘘発見器とその流れを汲む装置は,正統派の科学から繰り返し批判された。しかし,正統派の科学から批判されているからといって,何百万ものアメリカ人が何かを信じるのをやめたことがあるだろうか。しかも,マスコミはその力を盛んにほめそやしているのである。迅速かつ確実な裁きを求める国民にとって,嘘発見器の力がはったりであるかどうかなどたいした問題ではない。嘘発見器が「役に立つ」のであれば,それでかまわない。事件を解決し,自白を引き出し,忠誠心を確保し,信頼性を確認してくれるのだから。ひとことで言えば,嘘発見器は答を与えてくれる機械であって,これほどありがたいものはない。嘘発見器は「真実を教える技術」というより,「真実らしいものを教える技術」なのである。
ケン・オールダー 青木 創(訳) (2008). 嘘発見器よ永遠なれ:「正義の機械」に取り憑かれた人々 早川書房 pp.363
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