日本には看板が1つでは足りないという原則もあるようです。その理由を私なりに考えました。
1 理解力:人間は頭が悪く,繰り返して言わなければ理解できない。
2 感覚の麻痺:看板が氾濫し過ぎて麻痺が起きている。メッセージの重複が目に入らない。
3 移設・撤去のタブー:看板を設置した後は,二度と人の手が触れてはいけない。
4 献納精神:看板の設置は献納を意味しており,春日大社の灯籠や,伏見稲荷の鳥居にも見られるように,より多くを設置することが徳を得ることにつながる。
5 シンメトリーの美学:右近の橘,左近の桜……ひな飾りにも受け継がれているように,昔からシンメトリー(左右対称)の美学が大事にされている。
柵の中に絶対に入らないでほしい時は「柵の中に入らないでください」を左右対称に配置します。紅葉で美しい公園のベンチにも,左右対称に張り紙が貼ってあります。「神話」とともにもう1つ,日本ならではの「美意識」が看板にも反映されていることには感心すら覚えます。
アレックス・カー (2014). ニッポン景観論 集英社 pp.45-48
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