1906年,ユングは自分の研究論文をフロイトに送ったが,お返しにフロイトは彼の最近の小論を収めた本をユングに送ってきた。こうしたやりとりはその後の密な文通および協力の始まりを記していた。ユングとフロイトは多くの点で意見を同じくしていた。どちらも意識的な心の下には別の領域があると思っており,この精神の部分を2人とも無意識と呼んでいた。
1907年までにフロイトはユングが自分の後継者となることを決めており,彼のことを自分の「後継ぎの息子」とまで呼んでいた。フロイトはユングが約束の地——モーセが許されなかった特権であるが——へ入ろうとしたヨシュアであると語った。この両者の精神分析家はともに自分たちを預言者であると見なしていたが,どちらも低い自尊感情に苛まれていたというわけではなかった。結局のところ,彼らの関係は運命づけられていたのであり,ただ一方の自我だけが生き残ることができたのである。
デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.68-69
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