ジョーンズがいう見事に成熟した状態からはかけ離れているが,ユングによるとフロイトは自分の権威に対するいかなる挑戦に対しても神経症的に反応した。それ以降,2人の医師は戦争状態となった。フロイトはユングの不適切な行いについての謝罪を期待していたが,ユングにすれば謝罪するような理由は何もなかった。セックスの重要性に関する見解の相違が緊張をさらに高めた。ユングにはフロイトが神経症の原因としてセックスを強調しすぎると思われ,フロイトにとってみればユングはセックスの重要性を認めることができない抑圧的なスイス人プロテスタントである。というのも,キリスト教の伝統が身体を悪いものとみなしてしまったからである。結婚におけるセックスはユダヤ人にとってみれば神からの贈り物であるが,しかしキリスト教の聖者のなかには,何年もの間,柱の上で過ごした聖シメオンの例のように,女性との接触を極端に避けようとするものもいた。フロイトとユングの間の書簡はしだいに形式ばった辛辣なものになっていった。
1914年5月にユングは国際精神分析協会の会長を辞任した。2人は二度と話をすることなく,手紙を交わすこともなかった。この亀裂は20年後にナチスが勢力を握ったとき,重大な帰結をもたらすこととなった。
デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.70-71
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