ドイツのユダヤ人はまだ強制的に断種させられるところまでは行っていなかったものの,この恥ずべき政策についてはゲーリングの研究所にいた分析家たちが協力したこともあるので,説明しておく必要がある。政権を掌握してから7か月後にヒトラーは「遺伝的に欠陥のある子孫を予防する法律」を強行可決し,統合失調症,てんかん,<痴愚>,慢性アルコール中毒の症状をもつ者は誰でも断種させられることとなった。内務省は特別な遺伝保健裁判所を設立し,療養所,精神病院,刑務所,養老院の収容者を調べ,約36万人もの障害者たちが断種させられた。医師の第一の義務は害を加えないことだとするヒポクラテスの宣誓をドイツの医師の多くが軽率にも忘れたのである。
ヒトラーは「生活に値しない」と彼が考えた者たちのことを激しく嫌った。彼の医師であるカール・ブラントと第三帝国の首相官房長官であったハンス・ラマースは,断種は第一段階にすぎないとヒトラーが彼らに言ったと述べている。不治の病を持つものを殺すほうがより賢明なのだが,平時には世論がこれを受け入れないであろう。「こうした問題は戦時のほうがよりスムーズに容易に実行されうる」とヒトラーは判断し,「戦争の際には精神病院の問題を根本的に解決する」つもりであった。
デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.190
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