フロイトは50歳になった時に誕生パーティの1つを取りやめた。「誰も死から逃れられないという事実をごまかすために,還暦や古稀や傘寿といった記念の地点を祝って騒いだりするだけなのです」。そのため彼は祝う気分にはならなかったし,パーティがないことを確認していた。パウラ・フィヒトゥルはたくさんの花束や他の贈り物を受け取るはめになった。
アインシュタインがお祝いを言ってきてくれたことは,フロイトを喜ばせた。分析的な考え方の真理がよりわかるようになったと言ってくれたことは特にうれしいことであった。フロイトはアインシュタインがかつてフロイト理論にあまり納得しておらず,「儀礼上」賞讃してくれたにすぎないことを知っていると返事に書いた。いまではアインシュタインも精神分析に対して肯定的になっているようなので,フロイトはとても嬉しかった。アインシュタインはもちろんずっと若かったので,彼が80歳になるまでにフロイトの信奉者の1人になっているだろうと期待するほどだった。そこで巧みにフロイトはゲーテを引用しながら,自身の望みを茶化して,期待する「無上の幸福」について書いた。これはすてきな手紙で,新聞にはフロイトとアインシュタインの風刺画が載るほどであった。スイスの精神科医のルートヴィッヒ・ビンスヴァンガーはフロイトに宛てて「よく知られているように,誉めことばはどれほどあっても耐えられます」と書いた。
1936年5月6日にフロイトは80歳になった。オーストリアの文部大臣がお祝いを言ってきたが,政府はナチスを刺激しないように,その優しい言葉を新聞に報告しないよう指示を出した。フロイトはアーノルト・ツヴァイクに,彼がもらった古代美術品の贈り物の数は「さほど多くもない」が,とくにツヴァイクの贈った印象の付いた指輪は気に入ったと述べた。賢いが気落ちした子どものように,フロイトはこうした多くの誕生日の贈り物にも「私は以前と変りありません」と書いている。
デヴィッド・コーエン 高砂美樹(訳) (2014). フロイトの脱出 みすず書房 pp.221-222
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