なぜ,「江戸しぐさ」では同時に進むことにこだわるのだろうか。
私には,これらのしぐさの背景には,狭い通路で相手に道を譲る,あるいは相手から譲られることを受け入れるだけの余裕がない状況があるように思われる。
明治39年(1906)に出された『各個教練歩哨及斥候勤務教授法』(海軍砲術練習所編)という海軍兵士訓練用の教本には,「横歩」という項目がある。それは,「右(左)足を運ぶ時,膝を屈することなくまた左(右)踵を打つごとく行進せしむ」訓練だという。つまりは蟹のような横歩きである。
海軍では,艦船の狭い通路を複数の兵士が動く必要から,体を横にしてすれちがう訓練は必須だった。太平洋戦争開戦前夜の世相において,軍港の街・横浜の小学校で軍事演習まがいの授業があったとしてもおかしくはない。「蟹歩き」の起源が海軍の教練内容にある可能性は高い。
さらにいえば,狭い通路で同時にすりぬけたがる「江戸しぐさ」そのものが,海軍演習的な発想の延長線上にあるとみてよさそうである。
原田 実 (2014). 江戸しぐさの正体:教育をむしばむ偽りの伝統 星海社 pp.46-47
PR