東大法学部とは(少なくとも当時は)人事に関しても特別のところである。最も優秀な学生は,教授が目をつけていて,大学院には進まずに,学部卒から直接助手に抜擢される。そして,2,3年で助手論文を書くのだが,それは本人にとって生涯で最良の論文であることが多く,学界を震撼させるほどのものであることさえ少なくない。だが,形式的に彼は博士号どころか修士号さえ持っていない。ただの法学士だけである。助手論文が評価されるとポストの空きがあれば20代後半にしてそのまま東大助教授に昇進するか,そうでなくとも旧帝国大学の助教授に就任する。そして,30代前半ですでに教授に昇進するのだ。この昇進の速さは驚異的である。文学部の場合,だいたい40歳で助教授,50歳で教授といったところであろう。語学においては,50代の後半でやっと教授になることも少なくない。
東大法学部には優秀な人材が多いから,他の領域(例えば官僚や法曹界)に流れてしまうのを避けるため,こうした破格な昇進を約束すると聞いたことがある。確かに,私の学生時代,教官たちはこうした制度を潜り抜けて東大法学部に在職していたのであるから,ほとんど博士の称号を持っていなかった。だが,数人の博士号所有者があった。助手に抜擢されなかった者は,「仕方なく」大学院に進み,博士号を得てから「地方回り」をして戻ってくる。私が学生のころよくこんな噂をしていた。
「○○教授は博士号を持っているよ,そんなに優秀じゃなかったんだね」
中島義道 (2014). 東大助手物語 新潮社 pp.53-54
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