たとえば脳科学的説明なし条件だと,
「(前略)この人間の特性は,他者の知識を利用しながら他者の視点に立つことができないという人間の認知のメカニズムで説明できる」
という解説文を読んでもらった。
一方で,これが脳科学的説明あり条件になると,
「(前略)fMRIが示すところによると,この人間の特性は前頭前野を活性化させず,他者の知識を利用しながら他者の視点に立つことができない,という人間の認知のメカニズムによって説明できる」
といった解説文を読んでもらった。これらの文を含む学術的な解説記事を被験者の一般の学生さんに評定させたのである。特記しておくべきこととしては,脳科学の説明は論理構造になんら付与しない,完全なる蛇足であったことである。論理学的には,脳科学的説明によって,その文章の論理性はまったく同じであり,脳科学の部分は意味的に無関係な加筆だったということである。それにも関わらず,脳科学的な加筆があると,被験者は説明の妥当性を過剰に高く見積もったのである。
脳科学の説明があるほうが,説得された感じが強まるのだ。あなたも経験がないだろうか?テレビで育脳とか脳が活性化するというキーワードを耳にすると,なんとなく,なるほどなあ,そういうものなのだなぁとふと思ってしまったことがないだろうか?それがまさに,脳科学的説明の利点であり,危ない点なのだ。
妹尾武治 (2014). ココロと脳はどこまでわかったか?脳がシビれる心理学 実業之日本社 pp.186-187
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