知能とは何かと問われると,心理学者たちは,嘲るような顔つきで,知能テストが測定するものこそが知能だよ,と答えることがある。このやりとりは同義反復(トートロジー)にしか見えないであろう。科学の専門家でない人びとが聞いたら,おそらく面白がるであろう。しかしながら,科学の分野ではこの種の定義--いわゆる操作的定義(オペレイショナル・ディフィニション)--は,まったくありふれたものである。実際,多くの科学者たちが,これこそが受容できる唯一の科学的定義だ,と信じてもいる。1つの概念を,それを測定する方法と測定した結果とによって定義することがあるが,その時,この定義は同義反復ではない。なぜなら,測定という作業は1つの理論から導き出されたもので,その理論を証明したり無効にしたりするために,使われるものだから。知能テストが測定するものが知能なのだ,という言い方は,知能測定の結果そのものによって反証をあげられることがあるわけだから,循環論法ではない。それゆえ,もし私たちの知能テストが,すべて正の相関関係を持っているテストではないと判明すれば,これらの知能テストは知能を測定していない,と結論せざるを得ない。だが,その時には,むしろテストが内的妥当性を欠いていた,と言うほうがよいかもしれない。
H・J・アイゼンク,L・ケイミン 齊藤和明(訳) (1985). 知能は測れるのか--IQ討論 筑摩書房 pp.39-40
(Eysenck, H. J. versus Kamin, L. (1981). Intelligence: The Battle for the Mind. London, Pan Mcmillan.)
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