奇妙なことに,知能と学校の成績とのあいだに完全な相関関係がないということが,しばしば,知能テストそのものへの批判にまで発展してしまうことがある。イギリスでは,異なる種類の中等教育の学校に生徒を選抜するにあたり,「イレヴン・プラス試験(中等学校進学適性検査)」が実施されていたものだが,予測が完全なものとは言えなかったので,この検査方法は厳しい批判を受けて最後には放棄されてしまった。今日,知能テストが非難される理由のいくつかは,このときの経験から生じたものである。しかし,これはまったく見当はずれなことなのである。なぜなら,まず第1にこの適性検査は,3種類の問題から構成されていて,すなわち,英語,数学,そして言語による思考能力の試験であり,それは習得知識に依存した結晶性能力のテストとみなすことができる。したがって,イレヴン・プラスの検査には,流動性能力のテストはまったく含まれていないことになる。もちろん,知能テストが測定するのは,よくても学業の達成度を決定する変数のうちたった1つにしかすぎない。たった1つとは言っても,その1つはあきらかに重要な変数かもしれない。おそらく最も重要な変数かもしれない。しかし,それでもいくつかの変数のうちの1つにすぎない。このような状況のもとで,テストによる完璧な予測を期待することはまったく非現実的である。実際,もし予測が完璧であったら,それの基礎になっている理論そのものをくつがえすことになったはずである。テスト予測は潜在的な特性(知能)と顕在的な特性(達成度)とを一致させたはずであるからである。
H・J・アイゼンク,L・ケイミン 齊藤和明(訳) (1985). 知能は測れるのか--IQ討論 筑摩書房 pp.50-51
(Eysenck, H. J. versus Kamin, L. (1981). Intelligence: The Battle for the Mind. London, Pan Mcmillan.)
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