不幸なことに,知能という領域で発見されてきた主要な事柄が持つ社会や政治にとっての意味合いについては,いままで公に議論されたことがほとんどない。提起された問題は深刻な,重要なものだが,これまで私たちがしてきたことと言えば,極端論者どうしが互いに「ファシスト」とか「コミュニスト」とか,あるいは「人種差別主義者」とか「黒人びいき」とか,というようにののしりあう汚れた言葉のあらそいを目撃してきたというにすぎない。事実,感情の波は激しい。IQへの遺伝の役割その他の差異に注意してきた人びとは,ヒトラーの足跡をたどる者だ,集団大虐殺を行おうとするものだと非難されてきた。そのように,偏見により人を有罪に決定しようとする試みは,もちろん愚かしいことである。同様の汚れ物をなすりつけるような誹謗戦術が,社会主義は下劣で邪悪な信条だということを「証明する」ために使われることもあるだろう。ヒトラーの政党も国家社会党ではなかったかとか,彼の政党綱領はイギリス労働党と同様の社会主義行動を要求したのではなかったか,とか。こういう「証明」は実に危険なのである。
H・J・アイゼンク,L・ケイミン 齊藤和明(訳) (1985). 知能は測れるのか--IQ討論 筑摩書房 pp.156
(Eysenck, H. J. versus Kamin, L. (1981). Intelligence: The Battle for the Mind. London, Pan Mcmillan.)
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