ビネーのテストが出現したころすでに,優生学の考えと結びついた遺伝性の力への無批判な信仰が広くゆきわたっていた。1907年,インディアナ州では優性断種法が州議会を通過した。その後,アメリカの30以上の州がインディアナ州のあとにつづいた。この法律はとりわけ,犯罪者,白痴,痴漢,てんかん,強姦者,狂人,酒飲み,麻薬中毒患者,梅毒患者,非道徳的・性的倒錯者,それに病人,変質者などに対して,強制的に断種手術を行うという法律であった。この法令は,これら犯罪者,不適格者たちのさまざまな欠陥は遺伝因子を通じて子孫に伝えられるのだということを,法的な事実として認めたものである。優生学論者のまったく非科学的な幻想は,社会にとっての不適格者たちを,断種することによって,社会にとって望ましくない特性を人びとから除去できるという単純な考えをいっそう助長するものであった。幸いにもこの断種法は頻繁に実施されることはなかったが,実施されたとき,その対象となったのは貧困者たちだった。
H・J・アイゼンク,L・ケイミン 齊藤和明(訳) (1985). 知能は測れるのか--IQ討論 筑摩書房 pp.165
(Eysenck, H. J. versus Kamin, L. (1981). Intelligence: The Battle for the Mind. London, Pan Mcmillan.)
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