人間の知覚能力には限界があるが,17世紀初頭の望遠鏡や顕微鏡の発明や,それ以降のさらに精密な装置の発明は,観測や測定の及ぶ範囲やその精度を桁違いに増大させた。だが,理性の使用抜きには,実験は構築できないし,観察が意味をなすこともない。実在の本性についての理論的仮説と,その証明・反駁に求められる実験的証拠が何であるかに関する推論とが,科学的知識の必要条件となる。
そして最後に,専門的科学者は,自らの証言を他者に受け入れてもらうために,自らの知識の源泉がどこにあるかを明示し,自らの推論の道筋について説明しなければならない。そして論文,書物,専門誌,および今日では電子データベースにおける科学的結論を公表することで,我々は集団的でかつ文書の裏づけをもった記憶を共有することができるようになる。この記憶は個人個人の記憶に頼っていたのでは得られない広がりをもつものである。
トマス・ディクソン 中村圭志(訳) (2013). 科学と宗教 丸善株式会社 pp.29-30
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