よく知られた例を挙げよう。アイザック・ニュートンは,なぜ太陽系の惑星は,次第に速度を落として太陽に引き込まれてしまわずに,自らの軌道内に留まり続けているのか,また,なぜ太陽系外の恒星は引力によって互いにくっついてしまわないのかといった疑問に対し,それは神が時々プロセスに介入し,恒星や惑星を正しい位置に留め置いているからに違いないという仮説をもって答えた。
ニュートンのライバルにして批判者であるドイツ人のG.W.ライプニッツは,この仮説を神学的な視点から攻撃した。彼は1715年の書簡にこう書いている。ニュートンの神は,そもそも最初の段階できちんと機能する宇宙を創造する展望を持たなかったものだから,「時々自分の時計のねじを巻きなおす」「時折掃除をする」「さらには時計屋がやるように修理する」はめに陥っているかのようだ。「自分の作った仕掛けの修理や調整に追われる者ほど,ヘボ職人であると言わねばなるまい」。ライプニッツ自身は,宇宙に対する神の関与を完璧で完結した洞察を有するものと考えるのを好んだ。
トマス・ディクソン 中村圭志(訳) (2013). 科学と宗教 丸善株式会社 pp.69
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